名誉殺人の歴史と現在

名誉殺人(Honour Killing)とは、家族の名誉を傷つける行為をした者を家族内で殺害することです。女性の婚外交渉や伝統的価値観に反する行動が対象となる場合が多く、殺すのは夫、父親、兄といった男性家族です。被害者の平均年齢は23歳、93%を女性が占めています。

名誉殺人は近現代に始まった慣習ではありません。古代文明のほとんどは男性の婚外交渉を認める一方、女性の不貞行為に対しては厳罰を科していました。

紀元前1780年にメソポタミア(現在のイラク)で定められたハンムラビ法には、姦通の罪を犯した女性を縛って川で溺死させる旨が記されています。一方、男性の姦通に対する罰はありません。

紀元前200年ごろに書かれたインドのマヌ法典には「妻は貞操を守り、常に夫を神として崇めなければならない」「妻が主君に負う義務を果たさなかった場合、王はその者を公衆の面前で犬に食わせる」という記述があります。

1世紀のヨーロッパでも女性の貞節が重要視されていました。ドイツでは姦通を犯した女性は鞭を打たれたで生き埋めにされたという記録があります。「不貞の疑いがある妻や恋人と駆け落ちした娘を夫や父親が殺すことは、ヨーロッパ中で広く行われていた。家族が選んだ相手との結婚を拒んだ女きょうだいを、兄や弟が殺すこともよくあった」(The Civilization of the Renaissance in Italy, Jacob Burckhardt)

このような慣わしは中世も続きます。エジプトの精神科医で作家のナワル・エル・サーダウィは、ヨーロッパでは姦通罪による死刑が14世紀も日常的に行われていたと記しています。暗黒時代と呼ばれる中世前期、頭の良い女性は教会から子供を産めないとみなされ、焼殺されたか精神病として病院に送られました。しかし、男性司祭が女性に立場を奪われることを恐れていたのが本当の理由だとサーダウィは主張します。特に薬草など、民間療法の知識を持った女性は「聖水と神の力」を使う司祭にとって都合が悪かったのです。

中世以降も女性の一方的な抑圧は続きました。19世紀にフランスで制定されたナポレオン法は夫が妻を監督するものとし、不貞行為があった際は妻を独房に入れるか離婚することができました。夫が妻を殺すことも許されており、夫が殺人の罪に問われることはありませんでした。

今日の欧米社会における女性の扱いに影響を与えているのは、ユダヤ教およびキリスト教の考え、ギリシャ哲学、そして英米法だと、家族と女性の歴史を専門とするヴィヴィアン・フォックス博士は分析します。これら家父長的な男性優位主義の伝統を受け継ぐ文化では、男性から女性への暴力は支配・非支配の関係上ごく自然な現象だとみなされます。女性は宗教と法律の両方で不利な立場に置かれた状況を受け入れるほかありませんでした。

ローマ帝国下の名誉殺人を研究するマシュー・A・ゴールドスタインは、名誉殺人の根底には自分の子孫を確実に残すという男性の欲求があると考えます。子孫を残すには、妻である女性の性的行動を制限するのが最も簡単かつ有効です。家族の名誉を女性の責任にすることで、より男性にとって都合よく女性を支配できるのです。

さて、現代はどうでしょうか。国連機関が2017年に行った調べによると、同年に殺害された女性は全世界で87,000人、うち50,000人が交際相手または家族を加害者としています。また、2000年の統計では毎年5,000人以上の女性が家族の名誉のために殺されていることが明らかになっています。名誉殺人は報告されないことが多く、また自殺や事故とされることも多くあります。そのため、現実にはもっと多くの女性が未だ犠牲になっていると考えられます。

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