こんにちは、まとんマサラです。今回のブログはテルグ語映画にいつも出てくるあのおじさん、ブラフマーナンダムさんについての後編です。後半には出演作の紹介もありますので、最後までご覧ください。
前編はこちら→「いつものおじさん」ブラフマーナンダム氏の知られざる半生①
大学でのテルグ語講師とモノマネ芸人の二足の草鞋を履くブラフマーマンダム青年。昼は講堂で学生を相手に、夜は舞台で観客を相手に働く毎日だった。
芸能活動の収入が本業を上回るようになり、妻とふたりの生活にも余裕ができるようになっていった。しかし家族を増やすことに関しては不幸が続き、精神的に苦しい時期でもあった。
妻が何度目かの妊娠をしたとき、夫妻は知り合いからの助言でハイデラバードの病院で出産することを決めた。当初ブラフマーナンダム氏は地元と、妻が滞在するハイデラバードを行き来していた。しかし偶然にも大学の夏休みが重なったため、ハイデラバードに3ヶ月間滞在することになった。
ハイデラバードでの滞在先は中心街、道路交通事務所の近くだった。そこではかつての演劇仲間が働いており、ブラフマーナンダム氏はよく事務所を訪れて、冗談を言ったりモノマネをしたりして過ごした。あるとき事務所に来ていたテレビ局職員がブラフマーナンダム氏のモノマネを見て、これをいたく気に入り、テレビへの出演を依頼した。映画関係者を紹介されたのはテレビ出演から数週間後のことである。
「私がデビューしたときのことを思い返すと、いつもすべてが夢だったんじゃないかと感じる。私は妻の治療のためにハイデラバードへ来た。私は子供が安全に産まれることを願っていただけで、役者として自分が生まれ変わるとは微塵も思っていなかった。私は妻の痛みを和らげるためにハイデラバードへ行って、皆の心に幸せをもたらす人間として帰ってきたのだ」
現在ブラフマーナンダム氏と妻のラクシュミー氏の間には2人の息子がいる。名前はゴータマとシッダールタ。仏教徒であった恩師にちなんだ名前だ。
2009年、インド政府はブラフマーナンダム氏の功績を讃え、氏にパドマ・シュリー勲章を授与した。インドで民間人に与えられる勲章として4番目に格式の高いものである(日本の文化勲章あるいは紫綬褒章に相当)。当時のインド首相から勲章を授かった日の夜、ブラフマーナンダム氏は初心を忘れないために床で寝たという。
ブラフマーナンダム氏について語る人は、彼の学者としての知性、ヴェーダ哲学への造詣、そして人としての誠実さを強調する。笑いは物足りなければ面白くないし、行き過ぎては不快になる。人を心地よく笑わせる匙加減は、ブラフマーナンダム氏の心理学的洞察に基づいていると言う人もいる。彼がどこまで計算しているのかはわからないが、いとも簡単に、そして実に自然に人を笑わせるのが、ブラフマーナンダム氏のすごいところだ。彼をブラフマーナンダム(ブラフマー=創造主、アナンダム=幸福)と名付けた両親は、この未来が見えていたのだろうか。