「いつものおじさん」ブラフマーナンダム氏の知られざる半生①

こんにちは、まとんマサラです。今回のブログではテルグ語映画にいつも出てくるあのおじさん、ブラフマーナンダムさんについて書きます。

このおじさん

本名カンネガンティ・ブラフマーナンダム (Kanneganti Brahmanandam)。1956年アーンドラ・プラデーシュ州生まれ、現在68歳。インド映画界を代表するコメディアンとして国民的な人気を持つ。30年以上に及ぶ俳優歴で出演した作品は1,000本以上。世界で最も多くの映画に出演した存命の俳優として2010年にギネス認定されている。別名ネットミームの神。

本人曰く下位中流階級の家庭に8人兄弟の7番目として生まれた。難産で母親を苦しめたらしい。生まれたときは自分より母親の身体が危なかったので、周囲からほったらかしにされた。兄弟が多かったので生活は苦しかった。

子供の頃から人を笑わせるのが好きで「クラスで一番面白い奴」であることに誇りを持っていた。あるとき学校で教師を笑い物にしたため、当該教師から鞭で折檻された。帰宅して兄弟から報復するよう煽られたが、事情を知らされた父親から更に折檻された。このときのことをブラフマーナンダム氏は「それまでにも大人をからかうことはあったが、やってはいけないことをやってしまった。教師は知識を我々に与えてくれるという意味で、神と同等の存在なのだ」と自伝に書いている。

ブラフマーナンダム氏は笑いに命をかける一方、学業にも熱心だった。「人は教育からこそのみ、富と尊敬を得ることができる。私は家族を助けるために賢く、そして金持ちになりたかった。それに、世界を知りたかったし、学べることはすべて学びたいという気持ちがあった。一生『あそこの7男坊』と呼ばれるのは嫌だ。自分のアイデンティティを得るには、教育しかなかった」。ブラフマーナンダム氏が中等学校を修了(日本の高卒に相当)したとき、彼は村一番の高学歴となった。

困難のたびに学校の先生を始めとした周囲の人々に助けられながら、ブラフマーナンダム氏は無事大学へ進学。第一志望は歴史専攻だった。しかし候補に考えていた専攻がことごとく満員だったため、しょうがなくテルグ語を専攻することにしたらしい。結果、ブラフマーナンダム氏は修士までテルグ語を学び続け、大学院修了後は新設大学のテルグ語教師になっている。

演技で収入を得るようになったのは結婚してから。大学の給料が安かったため、副業としてモノマネの営業を始めたことがきっかけだった。当時はモノマネが演芸として一般的ではなく、斬新であった上に競合相手が少なかった。すぐにブラフマーナンダム氏の芸は人気になり、さまざまな舞台に呼ばれるようになった。教師業と並行しての芸能活動は、大学内からの嫉妬も生んだらしい。

(次回に続く)

参考文献

Dr. Brahmanandam, ME, Anvikshiki Publishers, 2023

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